『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日』を読んで

何処かに遠出をしたわけでもなく身体を酷使したわけでもないのに今回の風邪は症状が重く、二度も通院して一週間自宅で養生することになりました。その間に本を読んでいました。『なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日(門田隆将・著/新潮文庫)』という本です。
自身の暴力性を見つめ続けることで、他者のそれもまた自分の内側に在るような気がして、この記事を書きましたが、そのつながりでこの本を読もうと思いました。

光市母子殺害事件は、私の誕生日に事件が起きたことや、私と同世代で当時まだ大学生のような風貌の本村さんが裁判を続ける中で、どんどん闘う男の顔になられていったことが印象的でした。本は、本村さん自身のことや奥さんの弥生さんと娘さんの夕夏ちゃんのこと、事件発生から死刑判決が下るまでの長い裁判の詳細が書かれています。

本村さんは学生時代に闘病生活を送られていて、病院内の養護学校にも通われていました。奥さんの弥生さんとは学生結婚であったので、一緒に住むまで順風満帆とはいかず、結婚後も彼の再入院があり、家族三人が一緒に暮らせたのは短い期間でした。平凡ながら幸せだった日常は1999年の春に18歳の少年によって打ち砕かれてしまいます。
凄惨な事件の様子と、第一発見者となってしまった本村さんのショックと混乱に、胸が締め付けられます。一人になってしまった23歳のこの青年は、何度も自殺を考えて遺書まで残しても周囲の人達に支えられ、生き続ける選択をします。そして、少年法に守られた加害者との裁判を続けていくのです。当時はまだ被害者は裁判の蚊帳の外状態で遺影も調停に持ち込めず、加害者だけが司法に守られている状態でした。しかし、他の事件の被害者家族と弁護士さんと共に「全国犯罪被害者の会(あすの会)」を立ち上げます。あすの会の地道な活動により、被害者を守る法律ができたり、司法が少しずつ変わることになるのです。2008年、加害者の元少年に死刑判決が下ります。

この裁判は世間の高い注目を集めていたので、動画で本村さんの記者会見の様子を見る事ができます。丁寧かつ冷静に受け答えをされている本村さんの精神的強さに、胸が打たれます。想像を絶する苦しみの中から立ち上がり、生きる選択をし続けて協力者と共に司法まで変えてしまった立派な方です。人としての真の強さを感じます。弥生さんと夕夏ちゃんが天国で平安であるようにお祈りすると共に、本村さんには幸せになって欲しいと強く思いました。

本の最後には、死刑判決が出た後の加害者の元少年と著者の門田さんの、数回に及ぶ面会の様子が書かれています。長い拘留生活と死刑判決を受けて、加害者に改心の兆候が見られたことが救いに思います。彼は良い教誨師と出会い、獄中でクリスチャンになったそうです。暴力的な家庭環境の中、早くに母親を自殺で亡くした彼は、愛を知らずに短絡的な衝動で母子を殺害しました。彼自身が獄中で「自分が大切にされる」経験を経てやっと、自身がやったことの大きさに気が付くのです。
私はここでも、自分とこの元少年と一体何が違うのかよくわからなくなりました。もしも私が健康であったならば意識は外に向いたままで、私の暴力性は潜在意識に野放しのままであったと思います。この本を手に取ることもなかったでしょう。病で身動きがとれないことにも意味があり、もはや他人事などありません。だからこそ、私は暴力に信を置く愛の無い自我を聖霊に取り消してもらう重要性を痛感するのです。