7月8日の日記

先日、蘭丸さんと一緒に並んで撮った写真を整理してみました。スマートフォンで自画撮りをしたものでパソコンに保存してあります。一枚目は付き合って直ぐの 2009 年11月のものでした。そこから現在までの、主に出先で撮ったものを時系列で並べてみました。彼は元々色白の中肉中背タイプだったのですが、途中から外でのガテン仕事を始めた為に、日に焼けたことと身体が鍛えられてマッチョになりました。14 年前と現在ではほぼ別人になっています。私の場合は体調が悪い時期はやっぱりそれが顔に出ていて、なんだか精気が無いのがわかります。共通しているのは、二人とも表情が明るくなったことです。特に、彼の眼の光が明るい穏やかなものに変わりました。

こうやって改めて写真を見てみると、長い時間一緒に居てくれたんだなと実感しました。ちゃんと聖霊に守られて導かれて彼と出会えて今がある。沢山の人や動物達にも支えられてきました。そのことが本当にありがたく尊く感じました。

それても 2003 年からの元夫との地獄のような三年間で心に残った深い爪痕が、20 年近く経った今でもふとした瞬間に痛む時があります。その時に、聖霊に祈り癒しと赦しを与えてもらうのか、それとも生霊を飛ばして相手を恨み続けるのかをその都度立ち止まって選択しています。この選択の連続、これこそが自分に課せられた課題のひとつです。「やられたらやり返す。倍返しだ!」的な感情カルマから脱する為に、取り組みは続きます。どちらに幸せと救いがあるのか、どちらに愛(自己犠牲ではなく自分も周囲も共に幸せになる愛)があるのか、それを見極めるのは冷静さとドライさが必要なのだと今生で学びました。

その選択の瞬間に心の中を深く見てみると、自分には罪がある(故に相手も有罪)の想念帯には、この冷静さとドライさが無いのです。冷酷ではなく冷静さです。心の質感の違いが、選択のポイントを分けることがわかってきました。

1月20日の日記

先月のことですが、ある作曲家さんの音楽講座に参加しました。蘭丸さんの高校時代の親しい友人で、作曲家になった方がいるのです。その方が年に一回、郷里で音楽講座を開いていらっしゃいます。それに私一人で参加してきました。

ショパンやベートーヴェンといった有名な西洋音楽史に名前が残る作曲家にその都度絞り、その人物がどのような世界観で音楽を作成したのかや、時代を含めた作品背景などを講座では辿っていきます。私は二年前に一度出て、今回が二回目でした。毎回お話が興味深くて楽しいのです。私を含めて多くの人達がただ漠然と曲を聴いていると思うのですが、その背景や音の構図を知っていくとまた違った世界観が見えてきます。作品がより立体的になるのですね。今回取り上げた作曲家はドビュッシーで、クラッシック音楽の中では比較的好きで一時期よく聴いていました。日本でも車のCMなどに使われて誰でも知っている有名なピアノ曲が、実は竪琴(主にケルティック・ハープ)として弾くように構成されているとか、使われている和音が従来の西洋旋律ではなくてパリ万博で彼が出会ったガムラン音楽の和音だとか、知ると面白いですよね。「なんとなくこの人の音楽は新しい感じがする。どこか幻想的で聴いていて綺麗だなあ」とぼんやり思っていたのですが、そんな背景もあり、尚且つ彼の作品が Jazz にも影響を与えていることを知って驚きました。

また、先月から参加した本気モードのコーラスグループで、年明けから芸術性の高い曲に取り組み始めました。高校時代の合唱大会以降、合唱曲に全く触れていなかったので楽譜を見てとても難しく感じて「こんな難解な作品を歌えるのだろうか」と焦りました。有名な曲なので YouTube にあると聞いて、さっそく検索してみたところ、完成するととても美しい歌で、まるで絵画のように感じたのです。こんな感じ方をしたことがなかったので新鮮でしたし、難しくてもチャレンジしがいがありますね。

先に触れた音楽講座も難しい合唱曲も、私に新しい見方を与えてくれて新鮮なのです。知らないとぼんやりしたまま触れることで終わっていたのですが、なんだかこう、視点が開ける・変わることの面白さを最近体験しています。もしかして聖霊の視座ってこれに近いのだろうなとも思いました。私達は知っているようで知ってはいない、見ているようで見てはいないのですから。聖霊にいつも問いかけていく心の静けさが必要なのですね。

*この作品を女性三部合唱で歌っていきます。

12月21日の日記

冬至直前に十数年以上持ち越した感情カルマの課題は、やっと赦しへと着地した気がします。今回持ち越し案件に再度取り組んだことで、私はどうしても聖霊と共に生きたい、喜びから生きたい、何もなくても愛と優しさを携えて生きたい、その想いが強くなりました。動物達が幸せであるように祈る時や彼らのへの愛おしさを感じると、胸が温かく優しさでいっぱいになるんです。それが私のエッセンスであり中心・一なる神の子を一番ハッキリと感じられる心の部分です。ここから溢れる愛を、動物だけに限定せずに広げていきたいです。そのことに恐怖ではなく喜びを感じられますように。一歩一歩霊的に成長していきたいです。

今週は色んなことがあった一週間でした。
愛を持って厳しいことをお人に伝えなくてはならない場面があり、そのことで悩みました。愛があるならば「言う」時と、愛があるならば「言わない」時の両方がありますよね。その見極めが難しいです。今回は聖霊に聞いても前者でした。蘭丸さんにメールの文章をチェックしてもらいながら、何度も言葉を見直して送りました。私にとってはチャレンジでした。

また、私はなぜか目の前で人が倒れたり交通事故を目撃したり、雨の中を徘徊しているご老人を保護することがこれまでに何回かあったのですが、先日もそのようなことがありました。今回も救急車を呼んだのですが、うろたえるので心臓がバクバクします。それでも世間には協力してくれる優しい方がちゃんといらっしゃり、そのことが嬉しかったです。

この土地に来てもう二年が経ち、猫ちゃん繋がりの不思議なタイミングとご縁を頂いて、やっと友達ができました。今まで知り合いは居たのですが友達は居なかったので、とても嬉しいです。

映画のチラシ


春は自分の生まれた季節ですが、心身共に不調になりがちで苦手です。ここ数日もぐったりしていました。寒暖差と花粉症があるので毎年のことですが仕方ありません。植物の芽がうわーっと一斉に芽吹き、桜が豪華絢爛に咲き乱れるこの何とも言えないチカラに意識がもっていかれて落ち着かず、目眩がします。

Sさんの話を前回書いたことで思い出したことがあります。Sさんとお付き合いをして結婚の話が出た頃のことです。当時、あるセラピストさんのところで、一年を振り返り来年の抱負などを見ていく時間を年末に取っていました。その年も同じようにしてそのセラピストさんのところで、彼の話もして誘導瞑想をしました。うつらうつらした意識の中であるビジョンが見えました。一軒家で料理をしている私と、軒先に腰を掛けている未来の再婚相手と思われる男性の姿が見えました。それは当時お付き合いをしていたSさんではなく、顎がしっかりした輪郭の、体格の良い、作業着を着た見知らぬ男性だったのです。

瞑想から覚めた私はこのことにびっくりしました。しかし現実はその通りになりSさんとは別れることになります。彼との別れで精神的にかなり打ちのめされたのですが、一方でビジョンで見えた男性が誰なのかが気になってもいました。当時、都内で会社勤めをしていた自分の周りには、作業着を着たそのような体格の知り合いはいなかったからです。

そのビジョンを見た一年後に、ふと思い立ち、会社帰りに小さな映画館に一人で行ってある映画を観ました。地方の海沿いの街を題材にした作品で、ヒロインの相手役の男性は殆どのシーンで作業着姿でした。後に知ることになるのですが、その映画は蘭丸さんが住んでいる街、私達が一緒に今住んでいる街を舞台にした作品だったのです。マイナーな映画ではありましたが、サントラが好きでその静かな作風に惹かれた私は、映画のチラシを部屋に飾りました。チラシには作業着姿の男性とヒロインが大きな木の下で座っています。それは、顎がしっかりした、体格の良い蘭丸さんと出会う半年前のことでした。

Sさんとの別れは辛いものでしたが、聖霊は心が折れないように蘭丸さんとの出会いを見せてくれたのだと思います。

『やさしい気持ちになれる本』

この度の豪雨災害により被災された方々と動物達に、お見舞い申し上げます。必要な物資や医療、サポートが迅速に行き渡り、平穏な日常が一日でも早く戻りますように。

七夕を過ぎ七月も中旬になりました。長雨の中、気温が下がる日が時々あります。今日は蒸し暑いですが、先日は就寝時に毛布を出しました。暑さが逃げず夏が長い中央高地内陸部とは気候が違うことを体感します。

実家の猫たちに会いたいなあと寂しさを感じます。完全な猫ロスです。寂しさや悲しみは「それを感じている自分が人間として未熟な気がする」というような理由で否認しがちな感情なのですが、今はちゃんと寄り添います。私は猫たちから沢山与えられていたのです。

ああ、なんだか元気が出ないなあ・・・というこんな時に、読む本があります。大好きな姫野宮亜美さんの『やさしい気持ちになれる本』(成美文庫)です。この本は亜美さんの書籍の中で唯一の文庫本で手軽に持ち運びができます。また、文章がシンプルというかわかりやすいので、弱っていた長期入院の時も病室で読んでいました。簡単な瞑想も幾つか紹介されているので、とりあえずそれをやってみたりします。

いろんな力みが入って寂しさが横に押しやられてしまうと、優しさや温かさから心が離れてしまう気がするのです。動物たち、特に私にとっては猫という存在が優しさと温かさだったのです。彼らを介して間接的にそれに触れられて心がホッとしていたのでしょう。この本を読みながら、ぼんやりとそう思いました。

忘れていた本③

(続き)

私が蘭丸さんと歩んできた道は、私自身を見つける道でもあったように思います。巷で言われる「ソウルメイト・ツインソウル」という言葉は、何処かロマンティックな響きがある上に「なんらかの魔力に頼らなければならない」的な風潮があるのは、残念だなと思います。そして「ソウルメイト・ツインソウル」に出会ったからと言って、全てが思い通りになるとか、お姫様気分に浸れるとか、お金の問題が一気に消えるとか、そういうことではないと思います。少なくとも私達が育んできた関係性はそうではありませんでした。自分を幸せにするものが他者やカタチの世界、外の世界からの反応や評価、承認にあるという「外の軸」ではなくて、自分を幸せにする力は自分自身の内側、内なる神性にあると気づかせてもらいました。遠距離の十年をかけて、コースの教えと共に二人でそこを辿った気がします。内なる神性とは虚無感とは別の、温かさと愛を感じて広げていく場所でした。

彼と生活を共にし始めて二か月ちょっとが過ぎましたが、最初の結婚との違いを日々強く感じます。相手との小さなやり取り、二人の間に流れているもの etc・・・全てが違っており、二つを並べて「結婚生活」という同じ一つの言葉では括れません。殺されかけるほど辛く怯えた共同生活は、自身の神性や愛への信、神への信仰に戻る為に、そしてその後蘭丸さんと出会う為には避けて通れない経験だったのかもしれません。14年経ってやっとそう思えるようになりました。
不思議なのですが、前の結婚生活で傷ついた出来事を思い出すような夢を続けて見るのです。夢の中での夫はテレビで見る俳優さんだったりお笑い芸人さんだったりします。心が痛みを出し切りたいのか、夢を通して上がってきたそれらを静かに受け止めています。

今の生活では、欠乏感から相手に「なにかをして欲しい。こうであって欲しい」というコントロールや操作がありません。蘭丸さんとは気持ちの良いコミュニケーションができて協力し合えます。そして何処までが自分の問題なのか境界線が見えているので、何かを投影している時には直ぐに気が付きます。そして自分の気持ち・感情を安全に伝えられています。自分を犠牲にしたり我慢したところから相手に尽くす、というのもありません。何かをするときも、心がホッとした安心した場所からの優しさで動いています。「相手に幸せにしてもらう」という気持ちが無くて「一緒に幸せでいたい」「相手が幸せだと私も嬉しい」という温かい気持ちがお互いに循環しているように感じられます。

これからどうなっていくのかは全くわかりませんが、赦しと愛、温かい気持ちがお互いに通っていれば、様々な出来事にも聖霊を介して最善の対応ができるのではないかと思います。

忘れていた本②

(続き)

「男性関係で私だけがこんな酷い目に遭うのは運が悪いからだ。私という存在が呪われているからだ」と思っていたのが、この「酷い目」が立て続けに起こることでやっと「もしかしたら私の内側に原因があるのかもしれない・・・」と思い始めました。ちょうどその頃、この本に出会った記憶があります。周囲の同世代の友人達は幸せな結婚をし子育てをしている時に、ひとりだけずっと同じ場所で足踏みをしているような無能感にまみれていた頃です。幸せな家族写真の年賀状を受け取るのが辛かったです。

人が自身の信念を疑い心癖を見つめていくのは、失敗だったり大きく傷ついた経験がきっかけとなるのが殆どなのでしょう。私のように十代の頃から精神世界に興味があっても、内観ができているかどうかは別問題のように感じました。それは、スピリチュアルといわれる領域の知識や不思議体験があったとしても、自身の欠乏感を埋めるための「特別さ」のアクセサリーのようにそれらをまとっている人や、その領域で知識を競うような人が当時の私の周りには多かったからです。私は自分が「グローバル企業に勤めていること」及び「真っ当な社会人」であることが自我の誇りであり支えでした。自我の誇りと支えが、目に見えるキャリアなのか目に見えない領域なのかだけの違いで、勘違いの度合いは彼ら彼女らと同じだったように思います。

今思えば、これでもかと屈辱感や敗北感を感じることが私にとって恩寵であったのは間違いありません。嵐の真っただ中にいる時には、もちろんそんな風に思うことはできませんし、寧ろその言葉に腹が立った、それが自然なのでしょう。この本に沢山線を引いて必死に理解しようとしていた日々から程なくして私はコースに出会い、同時に蘭丸さんとも出会います。私は彼との関係が「聖なる関係」であるかどうか思いをはせる余裕も「ソウルメイト・ツインソウル」であるかどうかにこだわる気持ちも持てないまま、あっという間に彼との、真剣勝負で正直さが求められるある種の圧がかかったコミュニケーションに向き合う日々に入っていくのでした。あれから一度も本を開かないまま、この本のことを十年間もすっかり忘れていたのです。

今振り返って読んでみると「ソウルメイトカップルの共通項(298-300頁)」に私達は殆ど該当しています。面白いですよね・・・すっかり忘れていたのに、実地でこの本を体験したのですから。

(続く)

忘れていた本①

なぜその本を忘れていたのか・・・長年の夢が叶った後に思い出しました。私が一番最初に手に取ったコース関連の本は『聖なる愛を求めてー魂のパートナーシップ(ジョーン・ガトゥーソ 著・大内博 訳』でした。記憶の中でゲイリーの『不死というあなたの現実』が最初だと思っていたのですが、そうではありませんでした。

この本は、コースの教えに関する内容というよりも、パートナーシップの本です。当時は田中百合子さん訳のテキストを手に入れる前でしたので、コースの世界観を知らずに読んでいました。もちろんよくわからなかったのですが、ここには本当のことが書いてある気がしたのか、私には珍しく、わかろうとした必死の痕跡である線が沢山引いてあります。特に印象的だったのは、この中に例としてあげられているワーク「男の人は常に私のために、私にとって最善のことを望んでいる(140頁)」でした。これは自分が男性に対して抱いている信念をあるがままに見つめていくワークの例としてあげられているのですが、私にもこの言葉が当てはまったので実際にノートに書いて一週間行った記憶があります。これはつまり「男の人は常に私のために、私にとって最善のことを望んでいるとは思っていない」ことが前提で、抱いている信念を覆す真逆の言葉をノートに書いてそれに対する自分の反応を毎日書いていくというワークです。

このワークを行ってみて「男の人は常に私のために、私にとって最善のことを望んでいるとは思っていない」という思いこみに小さなひびが入った感触がありました。当時は殺されかけて離婚 → 性依存の男性から騙される → やっと ”まとも” と思われる人と婚約するも婚約破棄される、という踏んだり蹴ったりの直後でした。「男とは、まともな心など無く、常に自分だけが利益を得ることしか考えていない利己的で勝手な生き物」だとか「犯罪者は殆どが男だから遺伝子的に欠陥がある残酷で暴力的な生き物」としか思っていなかったのです。改めて文字にしてみると悲しいくらいに酷いですね・・・。

(続く)

Merry Christmas

引っ越しを直前に控え、今日は蘭丸さんと最後のスカイプ会話でした。思えば十年、ほぼ毎日スカイプをしてきました。最低でも1 時間、最長で一日に数回に分けて8 時間ぐらい話したこともありました。これまで使い潰したヘッドセットは数知れず、今日は二人で感慨深くなってしまい、会話を終了することが名残惜しくなりました。

家族の赦しに関しては、まだ父親とのわだかまりは残っており、先日も言い合いになってしまいました。スッキリした気持ちで引っ越したかったのですが、なかなかそれも難しく、離れても赦しは続けていきます。

九年前の夏、実家に戻った時に、すぐに家を出られると思っていたので、物置的な箪笥等が置いてある空き部屋を間借りして自分の部屋にしたのです。こんなに長く、ここに居るとは思いませんでした。図らずも闘病生活を送ることになった南向きのこの部屋で寝起きするのもあと数日です。

今日でPCを外してしまうので、暫くブログの更新が遅れます。
聖霊と共に、心温まるクリスマスをお過ごしください。
Merry Christmas.

不安と課題と②

(続き)

新しい生活への懸念事項は幾つかあるのですが、一番は猫たちと離れる寂しさです。実家は田舎の無駄に広い家なので、三匹の猫たちにとって自由に走り回れる空間があり快適なのです。外猫たちも、山に面して車が殆ど入ってこない同じく無駄に広い敷地内で遊び寛いでいます。それを考えると家猫三匹を引き離すことは出来ず、またこの快適さを奪うことはできません。猫と一緒に居ることで得られる幸せな気持ちが、愛の呼び水でありました。生活空間に動物が居ない環境に身を置くことに不安があります(蘭丸さんの社員猫は二匹いますが、会社まで行かないと会えません)。動物愛護の関わり方をこれから変えなくてはならず、そんな時に姫乃宮亜美さんとマネージャーさんが「聖母カフェ」を仲間の方と開いてくれました。

カフェの準備と共に、当日の様子を報告してくださるマネージャーさんのブログを読みながら温かい気持ちを感じて祈りを共にしました。そして、亜美さんが動物愛護に対してどのような心で向き合ったらいいのかも書いてくださいました。これから関り方を変えていかなければならない私にとってピタリと合うタイミングでした。

 ボランティアの次元上昇(1)
 ボランティアの次元上昇(2)
 ボランティアの次元上昇(3)
 ボランティアの次元上昇(4)

荷物の整理と共に、私の心も大きく変えていかなくては・・・そう思います。亜美さんが書いている二元ではなく一元からのボランティア、これこそが私の新しい関り方であると感じました。動物を遺棄したり虐待する人達へ激しい殺意を持ち、徹底的に彼ら彼女らを叩きのめしたい私にとって、この取り組みは挑戦です。私自身のカルマをこの領域に持ち込んではならないと、亜美さんを通して聖霊から断言されたと受け取りました。

ここよりも更に田舎で静かな小さい街で始まる新生活は、実は退屈どころではなく、新しい課題に向き合い続けていく想像を超えたものになるかもしれません。