秋分の日を過ぎて

引っ越しは 12 月第二週に決まりました。必要なことを忘れないようにとメモを取りながら、新生活で使う細々したものを少しずつ揃えています。また、関東を離れる前に友人達と会う予定を入れ始めました。「暑さが引いてから動けばいいや」とのんびり構えていたら夏は長く、気が付けばスケジュールは次々と埋まり、秋分以降、冬至を経て年末までは目まぐるしい日々になります。

今年の秋分の日を挟んで 9 月 22 日、23 日、24 日と、エネルギーが大きく動くと聞いたからなのか、このタイミングで久しぶりに風邪を引いてしまいました。台風のフェーン現象による気温の上昇と微熱が重なり、暑いのか寒いのかよくわからず、体内に熱が籠るような不快な汗にまみれています。いつもの「動きたいのに身体がついていけない」歯がゆさを感じながら、そんな自分を責めることはもうしなくなったけれど、9 年ぶりの引っ越しは私が一番体調を崩す12 月にあたることから、聖霊と共に準備しなければスムーズにはいかないだろうと思いました。

大きな生活の変化に向き合っていくと、都内から実家に戻った 2010 年夏の前回の引っ越しと今回のそれでは、自分と関係者を取り巻く全体の動きと流れが、随分違います。霊的な感性に比重を置いて、聖霊に委ねながら一歩引いて待つことの大切さ、心を平安に保ちながら静かに物事を動かしていく(というよりも動いていく)試みです。コースと出会い自発性、能動性の意味が変わってしまった今、躓き試行錯誤しながらの、このプロセスにもまた新しい発見がありそうです。

DVによる心理支配のこと

現在裁判が行われている事件の記事を読みながら、やり方が前の夫にそっくりだと思いました。生々しく感じられて胸の苦しさが数日間続きました。
子供を守れなかった母親を責める声が多いのは仕方のないことですが、DVによる心理支配というのは、カルト宗教の洗脳に似ているので、この状態で子供を連れて逃げるのは非常に難しかっただろうなと思います。過去の自分と彼女が重なって見え、当時の記憶が蘇り不快感が立ち上ってきました。

相手がなぜ怒るのか?という理由を一生懸命探しているうちに、相手を理解しようとしているうちに、こうやってDVに洗脳されてしまいます。
本当は、相手が自分に怒る「理由」なんて無いというのに。
バタラーは支配とコントロールの手段として、難癖をつけて不機嫌になって怒るだけなのです。
こちら側に自責の気持ちが1ミリでもあると、そこを徹底的に何時間も攻撃されます。人格が破壊されるまで続きます。そして、それが繰り返されることで、DV被害者は正常な判断がつかなくなってしまうのです。今回の事件では、母親が「どうしたら子供の命を守れるのか」という最も重大な判断がつけられない程、心理コントロールされて最悪の結果になってしまいました。

これはおそらく経験者にしかわからないことですが、DV被害者は自分がDVに遭っていることに気が付きません。自分が受けているものが不当な暴力であり人としての尊厳を踏みにじる違法行為だと「知らない」のです。私が悪いから、私に落ち度があったからと自分を責め続けているので、すっかり心が弱ってしまい、疑えないし声を出せないのです。バタラーの理論「俺を怒らせるお前が悪い」に洗脳されているので、第三者に相談しても同じように「怒られる」「責められる」と思い込んでいます。外部からの更なる「攻撃」から身を守るために、家庭という密室で起きていることを口外することが難しいのです。

私の場合は幸いにも子供ができませんでした。もし居たら守れるかどうか自信がありません。子供ができなかったのは一般的に「不幸」というレッテルを貼られるのですが、私にとってはかなりの幸運でした。その後の日々を、自分の為だけに使えて、やっと今の私がいます。それ程、DV被害から立ち直るのは年月を要するのです。