人間の進化

タイトルも変更したので、このブログももう少し砕けた内容で気軽に書きたいと思いながらも、途中まで書いて投稿できなかった記事が今月は何本かありました。どうしても文章に圧というか固さや力みが入ってしまうのです。それはまだ私にとってはブログを始めとする自己表現が何か特別なものであるからです。またアウトプットが苦手なのは、お人のブログを一通り読むことを最初にしていると、既にその時点で疲れてしまうのも理由です。なので今日は何も見ない状態で書いてみようと思います。

私は年齢が若い人達の方が人間が進化していると思っています。三歳で既に母親のスマートフォンを使う甥っ子を見ていると、それを実感します。動画配信や携帯端末の目覚ましい進化において、年齢が若い方がより柔軟に対応できる理由は頭の柔軟さもそうですが、そもそも人間が進化しているからだと思います。

以前からYoutubeで活躍しているスーツ交通さんスーツ旅行さんの動画を楽しく拝見しております(同じ方が作っています)。旅行好きですが、コロナの影響でずっと自宅にいるので遠出もできず、旅行の動画を見て気分だけでも味わっています。スーツさんの話は早口ですが声の響きが聞き取りやすく、言葉使いが昭和のアナウンサーのように丁寧で知識も豊富、拝見していてとても楽しいのです。自力では行くことが難しいと思われるシベリア鉄道での横断や日本の離島への旅、景色が美しい単線の旅など、自宅に居ながら旅をしているようでワクワクします。

この方はまだ二十代前半なのに自分軸をしっかりと持っていらっしゃいます。考えを理路整然と言語化できる能力、時折垣間見られる心根の優しさ、先ほど書いた人間の進化を感じさせます。不安定で滅茶苦茶だった私の二十代と比べると本当に恥ずかしくなります。もしも若かりし頃の自分の近くにこのような方が居たのならば、きっと張り合ってしまう上に劣等感を突き付けられているように感じて卑屈になり、彼の良さを客観的に見て称賛することはできなかったでしょう。

自分に無い能力を表現できる方を見ると、今は人間の可能性を感じて豊かな気持ちになり応援したくなります。それが年齢を重ねて得たものの一つかもしれません。

終戦記念日に寄せて

連日厳しい暑さが続いております。昨日の終戦記念日に寄せて、数日前に蘭丸さんと少し足を延ばして舞鶴引揚記念館へ行きました。この施設を訪れるのは二回目ですが今回は語り部さんに詳しい解説をして頂ける機会に恵まれて、1 時間半もお話を聴くことができました。

私はシベリア抑留者と外地からの引揚者の方々に幼少期から縁があり、内地を踏むことが出来ずに亡くなられた方々へ心を寄せています。心は深い場所でつながっているから、まずは自分の内側が平和であることが戦没者への最大の供養に思われるのです。それは世の中の動きに無関心であることとは違い、情報や学びを知識として知るのは大事なのですが、そこから何を見出していくのかを問われているように思います。

戦争の無い平和な時代であっても、心が本当に平和かどうかは難しいですね。他者との間に在る比較や分離の知覚とそれに伴う感情(侮蔑や軽蔑、優越感や卑屈さ等)に、疲弊しながらも正当化を続ける自我 ( エゴ ) が潜んでいるのです。「あんなふうにはなりたくない」と誰かに対して些細な軽蔑の目を向けることに微かな疲れを感じても、捉えどころがない茫漠とした不快さに押し流されて曖昧になってしまう気がしました。丁度、姫乃宮亜美さんがこのような記事を書かれており、まさに痛いところを指摘されたのでした。

他者への微かな分離感と戦争は意識において確実につながっているので、地道で長い赦しの歩みは、転びながらでも諦めずに続けることそのものに意味があるように思います。

関東では東京の新宿にも平和祈念展示資料館がありますので、是非訪れてみてください。

ブログのタイトルを変更します

八月になりました。長かった梅雨が明けて気温が上がってきました。海風のお陰で内陸部よりもずっと過ごしやすく感じられます。

かねてから懸念事項であったブログのタイトルを変更することにしました。以前に「このブログについて」で書いたように、コースの学術的解釈よりも、生々しい内面のプロセスや霊的な関わりに興味があるのでタイトルから「奇跡のコース」を外すことにしました。

コース学習を止めるわけではありません。