ファミリーカルマに悪戦苦闘する

姫乃宮亜美さんのブログが、私自身の分離感を癒して神の愛の方向に戻る為に、大きなサポートになっています。お盆休み中は、家族が集うことが多いので、どうしてもファミリーカルマと直面する機会になります。弟たち家族(弟が二人いて、それぞれに家族が居ます)が帰った後に疲れていたこともあって、今朝久しぶりに母親と怒鳴り合いをしてしまいました。両親とはどうしても、話し合っても分かり合えない設定になっているようです。私も蘭丸さんも、それぞれに兄弟が居ますが、長男長女としてその中でも一番重くファミリーカルマを背負っているので、なかなかに困難です。

母親にコントロールされて罪悪感を押し付けられている知覚を持っている私は、彼女を神の子として無罪性を見ることができません。今日は改めてそれが表面化しました。蘭丸さんと結婚して十二月に家を出ることを、近々言わなくてはならないのですが、ねちねちと嫌みを言われて反対されることが目に見えているので気が重いのです。もしかしてそれさえも、知覚の歪み故の危惧感なら良いのですが・・・。

罪悪感でつながり続けているファミリーカルマを、愛によるつながりに訂正できるように祈る日々が続きます。


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暑中お見舞い申し上げます。

長い梅雨が終わり強い陽射しが照り付ける季節になりました。暑中お見舞い申し上げます。連日の猛暑で我が家の猫たちもぐったりしています。亥年は変化が激しいと聞きましたが、私自身も含めて身近な人達を見渡しても、政治の世界でも本当にそうだなと感じます。

5年程前から、私が「心の姉」と慕う年上の女性がいます。ボディワーカーとしてサロンを持っている彼女は、ご自身の健康管理の為にフラワーレメディを勉強し資格を取りました。レメディも精油も私は全く知識が無いのですが、先日そのモニターになりました。子供の頃から植物や花が大好きだった繊細で心優しい彼女の、これまでの歩みが集大成されて、彼女自身の存在感が輝きだすようなセッションでした。なんというか、草木に宿る精霊に彼女が祝福されて導かれているような、自然界との大きな調和のハーモニーを感じたのです。

私は「繊細さ」というものを憎んできました。でも、目の前にこうやってその特性を愛の延長・拡張に使っている自然体の彼女が居てくれることで、愛からの強さを知ることになりました。彼女の繊細な心の美しさや、しっかりと地に足が着いている安定安心した感じ、自分自身とお人に対する誠実さを、私も育んでいきたく思います。彼女を通して私の手元にやってきたフラワーレメディは、今年後半の大きな環境の変化を、目に見えない領域でサポートしてくれるでしょう。

海辺の小さな街に挨拶を

海の日の三連休に蘭丸さんのところに行ってきました。一番の目的は、蘭丸さんのご両親に結婚する旨を伝えることでした。無事にそれが終わり、お金のことや必要な家具や家電、部屋のレイアウト等といった、新しい生活への具体的な話し合いが彼とできました。あと、蘭丸さんの会社事務所を見せてもらい、可愛い社員猫にも会えました。 先日完了した工事現場を見せてもらった帰りに、日本海に沈む美しい夕日を見ることができ、新しく暮らしていくこの地にも、挨拶ができた気がします。東日本の内陸山間部から関西の海辺の小さな街へ、森の匂いに包まれた生活から海風を感じる生活に変わるのは、贅沢ですね。

蘭丸さんは初婚ですが私は再婚で、お互い四十代半ばと年齢が高いこともあって、二十代のように勢いだけの結婚は無理です。お金に関して言えば私の最初の結婚は当初、潤沢な資金があり、それぞれの収入が高く安定していて、私は1円単位で家計簿を付けていたにも関わらず、散財してしまいました。元夫に振り回され、お金に羽が生えたようにパタパタと消えてしまったのです。この件に関して元夫に「お金を返して欲しい」という恨みのエネルギーを持っていたのですが、蘭丸さんから「あの時に失ったお金は厄落としの気がする」と言われて、なぜか納得しました。 今回は支度金がほぼ無いのですが、一番大切なものが確かにあるので静かな希望を持てます。「失敗というものは無くて経験があるだけだ。その経験があるからこそ知恵を経て、今度は豊かさを共に育み広げて世界に分かち合っていこう」と心を切り替えました。

私達の在り方は実験のようです。いわゆる世間の価値観ではなく、聖霊の導きや内側の一なる神の子としての光と愛を頼りにして、二人の新しい生活を始めようとしています。それはまるで道なき道を歩むようでもあります。今回は一緒にまとまった時間を過ごせて沢山話しもでき、お互いが共に生きる決意を固められました 。

高原を歩く③

(続き)

自分に向けられたであろう刃の話を静かに聴き続ける彼に、人としての器の大きさと愛の大きさを感じました。私は自分の内側にある一連の殺害衝動を意識の上に出して話すことが、行動の抑止力になっていると思っているので(このブログに散々それを書き続けているのもその為)これに関しても全く同じです。なので、何としても彼に話さなければならないと思ったのです。ただ、これはかなり勇気の要ることでもあるし、相手を選ばなければ単なる不快で気持ち悪い印象を与えてしまうだけなので注意が必要なのですが。

よく考えてみると男女逆であったならば、強姦未遂をしかねない質のエネルギーに見えます。もしかして私のこれまでの悲惨極まりない男女関係は、無意識下のこのエネルギーが引き起こしていたのかもしれません。それは相手を一なる神の子として見ることとは逆で、自分と同じ罪人であることを証明する為に仮の親密さを装い特別な関係を持つという邪悪で復讐めいた陰気さがあります。元夫も含めて感情センターの男性と深く関わっても憎しみと怨恨しか残りませんでした。私が感情をゴミ箱に入れているから彼らに振り回されて傷つけられたという側面を今までは見てきたのですが、今回それとは別のものが見えてきました。それは、単に私が感情や感性、情緒を最初から汚物認定しているので、そこを自我の強みにしている男性に対して許せなかった、なんとしても罪人にでっち上げたかったのではないのかと。コインの裏表なのです。愛でこそ真に人と人とが触れ合えるのならば(コースで言うところの親交・コミュニケーション)そこには必ずお互いの存在への敬意と尊重があって然るべきでしょう。過去の私には、それが欠けていたことを認めざるを得ません。無意識であっても。

今回は高原や森という彼が好きな安全なフィールドと状況で、男性に対して自分を動かしてきた暗い過去のエネルギーを表に出せた気がします。蘭丸さんとの新しい生活を始めようとする前に、健全な感情センターの彼を通して私の心はこれを丁寧に見つめたかったのでしょう。

忙しい中、私の為に時間を作ってくれた彼に感謝します。

高原を歩く②

(続き)

四十年ぶりに訪れたその高原の空気は澄んでいて、爽やかな風が吹いていました。自然散策の地図を読み間違えて、なんと 18 Km も話しをしながら歩くことになりました。牧歌的な風景にそぐわない地獄的な私の内面の話を、よく数時間も穏やかに聴いてくれたなと思います。私と違い彼の人生は順調で、人を呪ったことなど無いようでした。彼は年上の男性にありがちな威圧感や尊大さが全く無く、実年齢よりも遥かに若く見えます。

お互いがそれぞれ真逆とも思える人生を生き、今ここに居ることを静かに感じました。円座という場が無ければ接点が持てなかったでしょう。若くはない男性であっても、ここまで自身の感情や感性、情緒をしっかりと感じながら地に足を着けて生きていけるのかと新鮮でした。競争と足の引っ張り合いが激しい男社会の中で、勝ち負けや結果重視の考えに彼は最初から興味が無かったようで、仕事においてもプロセス重視だったようです。

男女というものが単なる暴力装置にしか見えない自分にとって、そうではない場所で生きている人がいること、感情をゴミ箱に捨て続けた自分とは違い、それをあるがままで受け止め健全に表現できる人がいること。私の中の「勝ち組男性」の像が良い意味で壊されました。長時間一緒に歩き話をする中で、当初私が彼に感じていた「陰湿なザワザワ感」が少しずつ言語化され、そのプロセスを彼に手伝ってもらった気がします。最後の方でやっと、心の中のそれを手繰り寄せるように話しをしました。結局私は、自分は暗い陰気な地獄の森から出られる人間だとは思ってはおらず、蘭丸さんとの新しい生活を始める価値さえ無いので、その為に「全てを持っている」彼の足を引っ張って暗い森に引きずり込みたい、巻き込みたいと思っていたのでした。この日の晩、自分は父親をこれでもかと虐待暴行する夢を見たので、おそらく父親(に象徴されるもの)への私怨がそこに混ざっていたようです。

(続く)

高原を歩く①

先日、高原に行ってきました。この場所でご一緒した一回りも年上の男性と一緒です。この方とは親しい友人を介して数年前からの知り合いで、二回目に会った三月の円座では本気でやり合って怒鳴り合いまでしてしまいました。私が最も苦手とする感情センターの人です。その後、別件で友人と三人で会い、今回は初めて二人で直接会って話をしました。私自身が癒されてきたからなのか最近は、以前のように精神的に病んでいる感情センターの人と会うことが無くなり、別の集まりやこの集まりでも、比較的穏やかで健康的な状態の感情センターの人と接することが増えました。彼は一流企業に勤めて幸せな家庭を持ち健康で、子供達は全員立派に巣立ち、会社以外でも野外活動をしている平和主義的な穏やかな方です。この一見激怒しなさそうな物腰の柔らかい人を、怒鳴らせてしまうところがとても私らしいのですが。

健全な感情センターの人であっても、今も尚、私はやはり何処かザワザワして心が波立ってしまうのです。特に、この方に対しては感情や情緒の部分に触れられている感覚があって、自我がそれを押し返そうとして相手を滅茶苦茶にしたいという破滅衝動のようなものが湧き上がってくるのでした。それは一見して全てを持っているこの男性への妬みのような復讐のような地獄的な衝動で、陰湿な自分のエネルギーを見つめ続けていました。若葉さんの時もそうでしたが、何かをトリガーされる人というのは、私にとってキーパーソンなので、積極的に自分から近づいた方が良いのです。なので、この方も私からお願いして忙しい中、時間を作ってもらいました。蘭丸さんにも二人で会うことを伝え(実は蘭丸さんとお付き合いをしてから別の男性と二人きりで会うのは初めて)微妙に緊張しながら待ち合わせ場所に向かったのです。

(続く)

開くことを待つ扉②

(続き)

私の感覚にとてもフィットする発想だったので、潜在意識下の信念が夢として現れたのだとわかりました。蘭丸さんにこの夢の話をすると「女性が凌辱されるよりも、その前に死んだ方が幸せだと考えるのは、女性性に弱さしか見ていない証拠だよね」と言われました。この夢の奇妙さは「男である自分が彼女を守る為に、彼女本人の意志とは関係なく勝手に殺してしまう」点にあります。つまり、女性性が残酷に踏みにじられた後の人生を地獄だと勝手に他者が決めて、死という転生のリセットをかけたほうがましだという一方的な「善意」のもと、相手を殺したことの残酷さと暴力性が全く無視されているふんわりとした不気味さがあります。女性という存在に成熟や成長という観点を欠いたまま、回復や再生というエッセンスを1mm も見るつもりがない ーーー これが頭ではなく、エネルギーレベル、体感覚での私の女性性への信念なのです。そしてこれこそが現在、長い陰鬱な気持ちと無力感を維持させている原因なのでしょう。

私は「ああ、何転生もずっとここで止まっていたんだ・・・」と感じました。性差を暴力装置としてしか捉えられず、ある時は女性に脅威を感じ処刑し、ある時は女性に脆弱性を見て殺しました。神の愛へ帰る為に、お互いが成長しながら男性と女性が手を携えて協力するビジョンを想像できず、何転生にも渡り立ちはだかった開かずの扉です。そして今回も、まさにそこに立っているのです。

開くことを待つ扉①

今月は精神的にきつかったです。内側の何かが日々変化しているのに、意識がそれについていけないのです。全てにおいてそうなので内側と外側がピタッと合う感触を掴めず考え過ぎて眠れなくなり、気持ちが沈んでしまうという悪循環の日々でした。これから結婚するというよりも、刑務所に収監されるかのような気持ちの沈みようでした。聖霊のサポートが入る隙間すら無い、厚い雲におおわれた感じは久しぶりでした。

カルマ的課題、特に女性性や感情・情緒のエリアに関して光を見いだせない感じが続きました。幻想といわれる二元性の世界への強烈な憎しみと憎悪にまみれると、全てが馬鹿らしくなってしまう心の癖があります。特に「男性と女性」という二元性が単なる暴力装置にしか見えなくなると、その馬鹿馬鹿しさの強度は増して生きる意欲が無くなります。
*LTGBの件は話の主旨と異なるので一旦脇に置きます。

ある晩、ファンタジー的な夢を見ました。

場所は西洋の何処か、時代は中世か近世でしょうか。大きなお屋敷に若い女性達が数人集められています。まだ年端もいかないこの娘たちは、家主の性奴隷として売られてきたようです。今晩の品定めの為に身なりを整えられ綺麗な服を着させられています。私は男で、幼馴染の女の子なのか、とても親しい娘がここに居ることに不安な気持ちでいっぱいです。私は屋敷に仕える男性労働者だけが集まるエリアに連れていかれるのですが、その娘を助け出す為に男性エリアを抜け出して屋敷を彷徨います。心の何処かで「あの娘は必ず助かり凌辱を免れる」ことを既に知っているのですが、その方法がわからないでいます。娘を見つけた私は、なぜか彼女だけにしか見えない妖精のような存在になっています。子供の頃一緒に遊んだように、妖精になった私は彼女を鬼ごっこに誘い出し、無邪気な娘はキャッキャと笑いながら私を追いかけます。娘の支度を任されている年配の下女達は慌てて、彼女を追いかけます。屋敷の上の階の窓から、私は庭の大きな木に飛び移り、木の先端へと娘を誘います。木登りが好きだった娘は喜んで木によじ登ります。先端へ先端へと移動する私を捕まえようと、娘はどんどん細い枝の部分に進もうとします。次の瞬間、彼女は木から滑り落ち落下。私は「よかった。これで彼女を守れた」と安堵し、ハッと目を覚ましました。

(続く)

一緒に暮らす為に②

(続き)

「そうか、前者を目指さなくてもいいのか。私と同じ後者でセッションを提供しているFBフレンズって誰だろう?」と思った時に、真っ先に思いついた女性がいました。彼女は私と同じ月星座が乙女座で、年齢もおそらく同世代です。数年前なんと私の操作ミスで友達申請をいきなり送ってしまったにも関わらず、つながってくれた方です。一度だけ偶然お会いしたことがありました。この「うっかりと偶然」から不思議なご縁を感じたのです。

彼女は自然体に自由に楽しく、なんといいますか肩の力が抜けているのです。後者的な無邪気さが良い方向に作用していて、提供できるセッションを温かくシェアして多くの人達から信頼されています。当初、私が理想としていた友人達は皆前者でした。無意識とはいえ、私自身が後者性を恥じていたので、前者を理想としていたのです。前者の友人達と比べると、彼女は明らかに流れているもの、スタイルが違うのです。でも、無責任でも軽率、軽薄でもありません。お人を大切にして、ちゃんと信頼されています。

「ああ!そうなのか!」と思った時にエネルギーがふわっと戻ってくる気がしました。

大切なことに気づかせてくれた彼女を祝福したくなり、FBで「実は憧れているのです」とコメントを書いてみました。彼女から喜びと共にお礼のコメントが返ってきました。ホッとして、私の中にも彼女に感じて見えている明るい自由さや無邪気さ、楽しさの質があることを大切にしようと思いました。

一緒に暮らす為に①

蘭丸さんと結婚した後の生活に思いをはせてみるのですが、「手術が終わったのだから体力の回復を目指しながら細々とアルバイトをして、慣れてきたらガッツリ働くぞ(生活費はもちろんのこと、動物愛護団体さんへの寄付も沢山したいから)」的なことを考えてみても、エネルギーが滞ったままで何かが違うのです。ならば「セッションで生計を立てる為に各方面に宣伝をする」のも違う気がする・・・。二人が新しい家族として生活を共にする本当の目的を思い出す必要がありました。

三年前の米子ダウンロードで与えられた「 ④マイティと蘭丸、私たちに関しては二人で一つの役割を担うこと」という言葉に立ち返り、蘭丸さんと話し合いました。この言葉を前にすると私も彼も、自分で自分の内側に制限をかけているのが現状です。蘭丸さんが「マイティさんがいつも僕にかけてくれる励ましの言葉を、今日は僕がマイティさんにかけるよ」と言いました。

私はセッションを始めたことを、FBでつながっている親しい友人達に告知することを躊躇していました。彼女たちの多くは、自身のサロンを持っていたり、セッションやワークショップのファシリテートを何年何十年と手がけています。そんな人達を前にして、欠点だらけの私が恐れ多い気がしました。彼女たちが成功しているのは技術の確かさはもちろんのこと、成熟した人間性や誠実で温かい人柄によることが大きいと常々感じているので、未熟で子供っぽい私がセッションを告知するのはおこがましい気がしたのです。

この話を蘭丸さんにしたところ、「マイティさんの後者性は、未熟さではなくて人としての愛嬌や愛らしさなのだから、欠陥として見るのではなくて自分で愛を向ける部分だよ」と言われました。セッションでお人の一なる神の子としての真実を見ていく時に、私自身が人として完成されていなければ失礼だという思いがあります。目に見えない領域に関して特に必要なことは、相手への敬意と尊重であり、その為には私自身が常に「前者のように抜けの無いちゃんとした信頼に足る人間」でなければいけないと強く思っているのです。ここで既に「子供っぽくて抜けのある後者は信頼に足りない」という私の勝手な判断が入っていたのです。

(続く)

Ref: 心屋じんのすけさんの前者後者論はこちら