4月6日の日記

今年の春は、こちらは長雨が続いて桜がやっと咲き始めました。
若い人の歌に心を揺さぶられることが少なくなったのですが、羊文学さんの「光るとき」は初めてラジオから流れた時にハッとしました。光が風と共にぶわっと心に入ってくるような感じがしました。この歌はアニメ『平家物語』の主題歌にもなっていて、美しいアニメ画像と共に聴くと涙が出てしまうのです。

随分前に私の指導霊さんのことは書いたことがありました。その方とは別に、私の真後ろにいらっしゃる守護霊さんは、恐らく壇ノ浦の戦いを見届けた方なのか平家の方なのか、その辺りの「文(ふみ)読みの者」なのだそうです。「文読みの者」とは夢の中で指導霊さんが守護霊さんのことをそうおっしゃったからなのですが、具体的にどのようなお仕事をされていたのか私が日本史や古文に疎くて正確にはわからないのです。ただ学生時代に古文は苦手でしたがなぜか漢文は強かったので、もしかしたら平安時代のお役人で文書を配達して読み上げるお仕事の方だったのかもしれません(当時、男性が担っていた政治の世界では漢文が主だったはず)。壇ノ浦の戦いに関しても勝手に涙が出てくるというか、意味不明なのですが何処かでこれを見届けた感覚があって、生々しく感情が揺さぶられるのですよね。それは私の過去生というよりも、きっと守護霊さんの記憶なのだと思います。そして今の私としての話なのですが、源氏側の守護が強い土地では良い思い出が本当に無いのが不思議ですよね。再婚の為に関西の田舎に引っ越して来た時に、私は遠くに来てしまって色々と不安だったのに背景の方々は「都(みやこ・京都)が近くなって良かった」とか「やっとこちらに来られた」と嬉しそうに仰っていて、それが奇妙で可笑しかったのでした。私は東日本の人間なのですけれど。

来週、久しぶりに所用で京都市内に行くのです。きっと桜は満開でしょう。そしていつか機が熟したら、壇ノ浦にも行かなければいけない気がします。

3月13日の日記

中高一貫校のミッションスクール時代に、聖書の科目がありました。一般の学校で倫理に当たる教科が聖書の勉強になっていたと思われます。もう三十数年前ですが今でも心に残っている聖書科の先生の話がありました。先生が以前に教会で牧師をしていた頃に、信徒さんの中に若くして病床にある女性が居ました。その女性と先生はさほど深い関りが無かったようなのですが(大きい教会だと信徒が多くて牧師や神父さんも複数居たりします)、その女性が亡くなってから彼女の手帳を見る機会があったそうです。教会の説教で「人の為に祈りましょう」という話をしたことがあって、病床にあった彼女は愚直にそれを実行し、毎日祈った人の名前を手帳にびっしりと記していました。その中に自分の名前を見つけて、親しくなかったにもかかわらず彼女が祈ってくれたことに心を動かされたというお話でした。

中学校時代のことなのになぜこの話を今でも忘れずにいたのかが不思議です。思うのは、自身が病床にあったり辛い状況の中に居る時に、人の為に祈るというのは本当に難しい行為なのです。辛酸を舐めている時に人や状況・運命を激しく呪うことが私にとっては自然だったからです。祈ることはそれと真逆の行為。でも彼女はそれをしていました。なんという尊い信仰でしょうか。

自分の中に愛がなければ、神に愛されていることを信頼できなければ、そのような時に他者の為に祈ることはできません。彼女は身体を使って汗水垂らして人の為に働くことはできなかったかもしれません。でも祈ることはできました。心を込めてお人の幸せを祈った彼女の小さな灯は、先生を経由して今もなお私の心を照らします。ここに私の魂の課題があり、その道を名前さえ知らない彼女が優しく灯してくれているのです。

2月19日の日記

我が家にはテレビが無いので情報はもっぱらインターネットからです。最近思うことは、必要以上に不安を煽ったり、誰かを叩くエネルギーというか善悪によって相手を叩いたり批判するエネルギーが加速して渦巻いており、なんだか怖いのです。私は陰謀論が好きではないので「誰かが影で操っている」とは思わないのですが、私たちの潜在意識にあった分離のエネルギーが顕在化しているのか、これまでの価値観が崩壊していくことへの恐怖なのか、何かその辺のものが情報としてエネルギーを携えて溢れかえっているように感じます。真面目にそれらのニュースや情報を見聞きしてしまうと「世間様」の顔色を窺いながら小さく怯え「自己責任」という名の足の引っ張り合いの周波数の中で病んでしまいそうです。そこは目には見えない意識の海のようなもので、もがけばもがくほど溺れて窒息していくような感じです。それらを「世界だ」と知覚している私自身が、もう何転生も何転生もその海の中に居続けて、疲弊しきっているのです。

善悪の世界で相手を攻撃したり奪い合ったり、または被害者加害者の立場を固定化したり。分離の海の世界に「留まり続けるの?それとも赦してここから出ていくの?」という岐路に、私を含めた多くの人達が立っているのだと感じます。まるで波打ち際にいるようです。ざぶんざぶんと水を被りながら苦しくなってみるものの身体の半分はそこから出ていたりして。この幻想の海が自分自身だと世界だと信じてやまないからこそ、自我はそっちに戻りたがります。苦しい海に。

心が明るくなる楽になる方向は、影を伴う二元のものではなくて幻想を抜けた本当の神の光。全方向から照らす眩い光には影すらありません。頭ではなくて心だけがそれを知っていて羅針盤のようにそこを目指します。

2月9日の日記

立春も過ぎて来週からは気温も上がるようです。二月に入り、インフルエンザの為に休んでいたコーラスにも復帰して、昨日は美容院にも行ってきました。少しずつ春の足音が感じられます。

一度体調を崩すと更年期障害が強く出て不調が長引いてしまうことに気が付きました。無気力になってしまい不安を感じやすくなるのです。女性ホルモンの急激な低下に伴う、この年代の女性の多くが経験していることなのですが、本当に「自分が自分でなくなる恐怖感」がつきまとうのです。生理前の PMS が延々と続く感じです。症状を自覚しながらこまめにケアをするしかありません。全摘手術を受けるまでの数年間、子宮筋腫の治療の為にピルをずっと飲んでいたので、ギリギリまで薬を飲みたくないんですよね・・・。試行錯誤しながら、どうやったら快適に過ごせるかを考えています。
私が心掛けていることは①「感情をちゃんと感じる」:これが苦手なので、毎日意識してその為に心を静かにしてあるがままの気持ちを汲み取っていきます。②大豆製品や食物繊維を多く摂る。③カルシウム・マグネシウム・ビタミンD・亜鉛配合のサプリメント(一種類)を飲んでいます。④良い香りのハーブティーや紅茶を飲み意識してリラックスする。⑤適度な運動をする。⑥とにかく体を冷やさない。⑦日中眠くなったら仮眠をとる。

以前に夢のお告げで「 54 歳でエネルギーが真逆になる」と言われて、恐らくその年で更年期障害が終わるのだと期待しています。あと 3 年、なんとか上手に付き合っていきます。

*写真は Pixabay の無料画像からお借りしました。

1月18日の日記 *追記あり

記事の間隔が空いてしまいました。2024 年もよろしくお願いします。
昨年末に私単身で実家に帰省したところ、Uターンラッシュで激混みだったからなのかインフルエンザになってしまい完全な寝正月となりました。事前にワクチンを接種したのに罹ってしまいました。甥っ子姪っ子に久しぶりに会う目的でお年玉を携えて行ったのですが、受験生もいるので罹患を避けて会えませんでした。滞在期間も一週間延ばして養生をし、なんとか 12 日に自宅へ戻ってきました。長距離移動で疲弊しきって、その後はもちろん何もする気がおきず今日まで至っています。

久しぶりの高熱で朦朧としているところに元旦から能登の震災、羽田空港の事故、北九州の火災と続いて全く心が休まらないお正月でした。実家の家猫三匹は元気でしたが、外猫は昨年春に年長者のクロがいなくなり、まだ若いマリノも元旦から突然来なくなりました。山間部で獣がウロウロしている為に、もしかしたら攻撃を受けて致命傷を負ったのかもしれません。その代りにひと月程前から新しく黒猫の雄が二匹現れました。年明けに市役所に避妊去勢手術費用補助の申請を出しました。私が自宅に戻ってから手元にあった捕獲機を実家に送り、それを使って母親が今週二匹を捕獲して無事に去勢手術となりました。これからは、この新しい黒猫二匹と何処かで去勢手術を済ませたトラ猫(この子は私がまだ実家に居た頃から時々来ていた個体)、以前から居るサビちゃん母さん、ミミちゃん(サビちゃんの子。兄弟のマリンは天国へ帰ってしまった。マリノも兄弟)、古参のハナトラが現在の外猫メンバーです。
*追記:マリノが二十日ぶりに帰ってきました。汚れてもいないし痩せてもいないそうです。何処か別のお宅に上がり込んでいたのでしょうか?ホッとしました。マリノを含めて現在の外猫は 6 匹です。

被災地の動物たちのことが気掛かりで精神的にダウン気味なのですが、祈ることはできると心を正して過ごしています。全く何の抱負も無い年明けなのですが、姫乃宮亜美さんのこの記事の通りに生きたいと思います。⇒「スピリチュアルに優しく生きる」 

被災地のみなさんと動物たちが、どうかどうか一日も早く安心して過ごせますように。

12月16日の日記

最近なぜか赤ちゃん動画にはまっています。どの子も皆、可愛くて可愛くて見ていて飽きないのです。赤ちゃんからは目には見えない「可愛さの物質?粒子?」のようなものが一様に噴き出していて、私は多分それに触れたいのだと思います。癒されるというか心の奥にある頑なさや冷たさが、溶かされる気がします。

昨日、とても印象的な動画を見ました。アメリカに養子縁組で渡った中国人の幼女が、養母に話しかけている動画です。年齢の割には無邪気さが無く大人びた話し方をしていて、養母に気を遣っているようにも見えますし「私と妹を見捨てないで欲しい」と健気に訴えているようにも見えます。彼女の話し方から、この家庭に来るまでに寂しい思いや辛い体験を沢山してきたことが透けて見えるようです。憶測でしかありませんが、彼女にとって養子としてもらわれた先のこの家庭が初めて安心できる場所であったようにも思われます。それを失いたくない気持ちと優しさや温かさを与えてくれる養父母への感謝を必死に伝える姿に、見ているこちらも切なさを感じてしまいました。

そして神様から見たら私達は皆、この切ない小さな女の子のようなのでしょう。愛される為に愛を得る為に愛を失わない為に、手を変え品を変え自我の防衛策に必死に取り組んでいます。本当はそんなことをしなくても、無条件に存在を赦されて愛されているというのに・・・。

スタートが過酷なものであったこの姉妹の人生が、これからは穏やかで幸せでありますように祈ります。この子が無邪気にはしゃいだり笑い転げたり楽しみ喜ぶことが多い人生でありますように。

12月4日の日記

ブログの間隔が空いてしまいました。山陰の秋から冬にかけての天気は、大体が曇りか雨です。冬になるとそれが雪に変わります。こちらに引っ越してきた当初は、太陽が殆ど見られないこの天候に憂鬱さを感じましたが、冷たい雨に不思議と気持ちが落ち着くようになりました。でも今年は珍しく晴れの日が多いようです。冬の積雪量は少ないのでしょうか。

姫乃宮亜美さんのブログで、心に響いた記事があります。
「実りある未来の為に」
「エネルギーが結果となる時代」 
「大きくエネルギーが変わるきっかけ」
「まとう波動を一致させて」
「幸せに一致すること」

少し前から友人の離婚相談にのっています。本当の気持ちから切り離されて長年抑圧的に生きてきた彼女を見て、過去の自分と被ります。私も自分の本心に触れることなく「こうすべき」という観念のみで物事を動かす癖がありました。現在はかなり薄まりましたが、この心癖は未だに少し残っています。このような状態を過去のブログ記事で「自分の前にマネキンを置いて、それを後ろから動かす自分」という表現を使っていました。ここでいうマネキンとは「こうすべき自分」のことです。例えば「今自分が置かれている役割や立場ならば、このような言動をすべき」を演じている演者のことであって、それは自分の本心ではありません。自分と一致しないことが常であった以前の私にとって、そのことを疑うことが自分を見つめるスタート地点でした。

「自分とかなり一致していない」「そもそも自分の本心・感情がわからない」地点から歩み始め、「本心を探す為に素潜りのように心の中を潜って本当の気持ちを毎回探す」に至り、そこを経て現在は「本心とズレていると何だか気持ちが悪い。違和感がある」ところまで来ました。それでもこの点に関しては、まだスムーズではありません。エニアグラムタイプ1の私にとっては、社会的にちゃんとした人でありたい、真っ当な社会人で常識的でありたいという想いが強く、それらが自分の本心を横に押しやってしまうのです。これは聖霊に何かを問う・聞く以前の話です。聖霊に何かを問う以前に、私が私にちゃんと問うているのか?そこが本当に難しかったし、今でもかなり注意が必要です。

コース学習を始めた初期の頃に「怒りは正当化されない」という言葉を、怒りの抑圧に使っていたのです。「自分の気持ちの全てが自我由来であり、それは全て間違っている」のだから「気持ちを感じることがそもそも ”間違い” だ」という誤った理解をして苦しくなりました。そして様々なことを赦せない自分を裁いていたのです。このような誤った理解によるトラップは、恐らく自我の傾向として様々に見られるのかもしれません。瓶の蓋を開けるはずなのにきつく締めてしまう感じです。学習に取り組んでも苦しくなる一方でした。蘭丸さんのアドバイスもあって、この時は一旦コースから離れて自分の感情や体感覚を感じるメソッドを中心に取り組みました。そこから糸口が見えた気がします。

相談にのっている友人を通して、そのようなことを思い出しました。

11月19日の日記

Ref: 8月8日の日記
ここ最近問題になったお菓子屋さんのニュースを見ていると、店主さんが若葉さんにとても似ているのです。クレームを伝えてきたお客さんへのズレている対応や発言の数々、食品を扱っているにもかかわらずそれに相応しくない小汚い衣類とネイル、店内の不衛生さ、素人でもこれは腐敗するだろうとわかる状態の食品を大量に売ってしまうところや、食品衛生の知識と危機管理の無さなどが露呈しています。食べ物を扱ってはいけない人がそれをやってしまった感があり、死人が出なかったことが不幸中の幸いのようです。この中身が伴わないのに大風呂敷を広げて身の丈以上のアピールを一生懸命する感じ、人の忠告や意見には頑として耳を傾けないところ、身なりや空間の不衛生さ、自分を疑うことができず自己過信をして独りよがりに暴走する傾向など、本当に若葉さんを見ているようでした。

でも、この店主さんにとっては自分のやった事がちゃんと返ってきた結果が、この大炎上であって必然だと思うのです。もちろん、商品を買ってしまったお客さんにとっては迷惑極まりない出来事ではあるのですが。ここまでしないと本人が自分のやったことに気が付けない、だからここまでの大事になってしまった。そんな気がします。

若葉さんの人生で遅かれ早かれ訪れるであろうこうした大き目のフィードバックに関して、価値が無いと私が勝手に決め付けていたのだと思います。それは出来事そのものはニュートラルであって、良いとか悪いとかの判断は本人が決めるものだからです。彼女が経験することの全てが彼女にとっては価値があるのです。それは私も含めて全ての人にとっても同じです。

11月9日の日記

少し前に、コーラスで一番大きい発表の舞台がありました。満席の客席で歌うのは初めてでしたので緊張で手が震えましたが、ベストを尽くすことができました。何か月も前から難しい曲に取り組み、直前まで皆で練習をしました。本番でその曲がこれまでで一番上手に歌うことができて、とても嬉しかったです。これが終わってから数日間は放心状態になりまして、沢山緊張していたのだなと思いました。

この秋は虫さんの大量発生でコーラスとは別にピリピリしており神経を使っていました。長くここに住んでいる方に聞いても、こんなことは初めてだそうです。お店の棚から殺虫剤が売り切れになってしまいました。雪が降る前の過ごしやすい季節なのに、窓を開けることもできず玄関を開け閉めする時も緊張して、常に虫さんに警戒しなければならず辛かったです。早く気温が下がって欲しいと願っています。今週末にやっと雨が降り通常の気温になるようですね。山陰の秋は冷たい長雨と決まっているのに、それは最初の数日だけでした。夏のような晴れの日と気温に戻ってしまい、未だにセーターを出せずにいます。夏もそうでしたが秋も異常気象でしたね。

心のことについても書きたいテーマがあるのですが、そんなこんなで意識が外側に向きやすい一か月でした。ここから冬至と年末にかけてぐっと内側に意識を入れて文章を書けるようにしたいと思います。

10月21日の日記

一年程前から企画していたある小規模な催しが、先週末に無事に終わり肩の荷が下りました。久しぶりに旗振り役となりまして、ああでもないこうでもないと思案しながら準備しました。自分と価値観や人生観が似ている人達のみがなぜか参加したので、穏やかに楽しめた一日でした。気が緩んだのか、昨日から熱がでており自宅でゆっくり過ごしています。雨が冷たくなりました。あんなに暑かった季節は過ぎ去り、山陰地方独特の長雨の天気になりました。今年は秋が短く冬が早くやってくる気がします。

これとは別に、ある場所で知り合った友人にコースを勧める機会がありました。きっかけは、自我のやり方に限界が来ていることを彼女自身が薄々気付いているように見えたからです。こんなふうに誰かにコースを勧めるのは初めてでした。その話をする為には自分の経験を話しながらも、彼女の痛みに触れることにもなるので、聖霊に祈りながらどんな言葉で伝えたらいいのかを考えました。不思議なものでタイミングにある時は、スッと相手の心に届くものです。予想よりも短い時間で話が進みました。彼女はコースに興味を持ってくれて、JACIMさんのサイトを紹介したり初心者向け学習に役に立つと思われるワプニク先生の本などを紹介しました。

人との関りの質が、昔とは明らかに違ってきているのを感じます。これも赦しの成果かもしれません。蘭丸さんの本棚にある『奇跡講座の赦しの教室ーJACIMフォーラムの仲間たちによる実践の記録』という本を読んでいます。私自身はこのフォーラムには参加してはいないのですが、同じ志の仲間たちのお話はやっぱり励みになります。

*写真はPixabayの無料画像からお借りしました。