「私たち」と言う一歩

苦手な感情センター(エニアグラム 2 – 3 – 4 )特に自己アピールが強い 3 番の人達や、自己顕示欲が強いメンヘラが嫌いなことは、このブログに繰り返し書いてきました。過去に具体的なトラブルがあり、勝手に加害者扱いされた恨みつらみもあります。今、人生初の静けさに満ちた平和な生活の中で、この件に関して精神的余裕が無い時には扱えなかった「ある角度」に取り組むことにしました。それは、彼らと同じものが自分の心の中にあるのではないのか?という視点です。この件については罪 (sin) が濃厚で、数年をかけ段階的に掘り下げていくしかありません。根気よく向き合うしかないのです。

子供時代に親や周囲から大切にされていない、存在を無視されている、いても居なくてもいい存在だと思われていると感じた時に、その疎外感をボディーブローのようにくらって座り込み「自分なんていない方がまし」といじけてしまったのが私でした。それとは反対に「もっと私を見て!」と過剰な自己アピールを開始したのは彼らです。反応が違うだけであって、動機となる内側の疎外感や寂しさは同じなのではないのかと思い始めました。この見方を採用すると、とてつもなく不快です。それは分離感を維持して相手に罪をなすり続けたい自我(エゴ)が反応するからです。

感情や印象を使って周囲から愛を得ようと試みる在り方は、彼らの無意識のサバイバルでもあり防衛手段なのですが、そこに強烈な不快感を感じます。それは、自分が抑圧して克服した気になっている「疎外感や寂しさ」を相手から「見せられている」ようで痛いのです。自分は感情を罪として無きものにする代わりにパワーを得ることで「存在感を強固にし、周囲を黙らせる・威圧させる」防衛手段を選んだだけのことなのです。

自我(エゴ)は「湿っぽい彼らと一緒にされたくない」「私はあんな愛情乞食じゃない」と憤慨しますが、それは誤りです。彼らに投影することで温存されてきた私の「疎外感や寂しさ」は(投影している)兄弟姉妹と共に癒されることでしか消えていきません。聖霊への信頼、この一点に留まり私たちが共に癒されるようにと祈り続けるのです。

遠く離れてみて思うこと

新型コロナウィルス感染拡大の為に、3月末に予定していた里帰りが延期となり、実家に行く予定が未定になりました。大好きな猫たちに会いたいのです。私がこちらに来てから、実家には新しく外猫が 1 匹増え、両親が TNR *をしてくれました。現在、家猫 3 匹と外猫 9 匹の合計10 匹の大所帯となりました。蘭丸さんとの生活は信じられないほど静かで平安なので、誰かがガミガミと怒っていたり早朝から両親が大声で喧嘩をしていた実家での生活が嘘のようです。数年前に猫が来てから(最初は大怪我を負った捨て猫を保護しました)猫が増えるごとに少しずつ静かにはなったのですが、一日中テレビのワイドショーを見ながら怒鳴っている父親には本当にうんざりしていました。

遠く離れてみると、実家で絶えることの無かったファミリーカルマ的な罵詈雑言やイライラ、怒鳴り合いというのは、私自身にも同質のものがあったのだと今はわかります。「~しなければならない」という規範や制限を多く課していればいるほど、自由奔放に振る舞う赤の他人が許せなくなり批判的になる、こうしたことが根底にあったように思います。こちらに書いた自己表現への苦手意識もつながっています。人に対する冷たい批判的な視線を、そのまま自分自身にも向けているから恐怖になるのです。両親の態度に現れていたファミリーカルマを、一歩離れた状態から冷静に自分自身の問題として見ることができるようになりました。時間はかかりましたが、私が激怒して父親に暴力を振るうという最悪の事態は免れることができたのは全て聖霊のお陰です。そして猫たちを招いてくれたことも。

*トラップ・ニューター・リターンの略。避妊去勢手術をしてから地域猫として餌やりをします。



外猫のサビちゃん
外猫のサビちゃん (一番警戒心が強く、私以外は触らせてくれない)

 

外猫のクロ
外猫のクロ(この子が一番甘えん坊で面白い)

 

外猫のハナクロ
外猫のハナトラ(静かで穏やかな性格)

 

外猫のマリン
外猫のマリンちゃん(サビちゃんの子。いたずら好きで懐っこい)
外猫のミミちゃん
外猫のミミちゃん(サビちゃんの子。小さくて可愛い)

 

外猫のマリンちゃん
外猫のマリノちゃん(サビちゃんの子。品が良く優雅)

 

結婚指輪

五月に入り暑い日が二、三日続いたところ、今日は曇りになり少し気温が下がりました。毎週日曜日に蘭丸さんと一緒に丁寧に掃除機をかけるのですが、今日はそれも億劫に感じられる程、何もしたくない気分で一日が始まりました。掃除機は彼に全面的に任せて、私は大量の洗濯物を洗って干しただけで、お昼も夕ご飯も彼に作ってもらいました。蘭丸さんは今日は一日、二人の結婚指輪を制作していました。

指輪に関して、再婚の私はこだわりが無かったので特に必要とも思えず、彼に任せていました。蘭丸さんが色々と調べてくれて結果、彼がシルバークレイでハンドメイドに挑戦することになりました。実は蘭丸さんのお母さんは、神社仏閣の彫り物を手掛けていた職人さん(なんとウィキペディアに載っているのです!)の直系の子孫なのです。義母さんも彼の弟も手先の器用さを受け継いでいます。それも関係しているのかどうなのか、一緒に住み始めてから私の髪の毛も綺麗にカットしてくれたり(美容院に行かなくてもよくなりました)指輪の制作に挑戦するなど、新たな一面が見え始めて新鮮です。畳の部屋で正座をして黙々と机に向かっている彼の横で、私は横になって昼寝をしました。静かで幸せな生活がありがたいです。

指輪を買ったり美容院に行くお金が無いわけではありません。質素ながらも二人で工夫しながら一緒に過ごす静かな毎日が本当に豊かで楽しいのです。この平和な生活に身を置いてみると、過去の私はどうでもいいことに拘っていたのだなあと思います。人の目、世間の評価、キャリアやお金の心配 etc… 本当に大切なことはシンプルでした。心が満ち足りて喜びに溢れる為に、多くのお金が必要だったわけではなかったのです。
先ほど出来上がった指輪の写真を添付します。