心の温かいところで生きるとは

姫乃宮亜美さんが仰っている「心の温かいところから生きる」という言葉を大切にしています。「心の温かいところ」というのは他人に対してもちろんそうなのですが、自分に対してもそうで、自分を置き去りにしない優しさと温かさ、そこにストンと戻ると安心します。

私はスピリチュアルな団体やサークルに長く関わってきたので、これだけは肝に銘じておこうと決めていることがあります。それは、心の温かさを失ってはスピリチュアルは本末転倒であることです。20年くらい前に運営に関わっていた某団体(コース関連ではありません)で特に感じたことなのですが、一般社会で負けているのでリベンジとしてスピリチュアルをやっている人達が一定数いました。この人達は精神世界の知識やサイキック能力でマウンティングと精神勝利をすることを目的としていました。「あなたは特別な人です」と言ってもらえる場所を探しているように見えました。成熟しておらず人に対して配慮も無く、社会を小馬鹿にしながら神だ光だ愛だと言っている彼ら彼女らから、私は愛を感じることは無く、居心地の悪さと一抹の悲しさだけを感じました。こういう人は、もちろんコース界隈にも少数ですが居ました。

その某団体の運営にいた時はイベントで大きなお金が動いたこともあり、脅迫・セクハラ・吊し上げ等、ここに書けないくらいに本当に色んなことがあったのですが、そんな目的でスピリチュアルをやるくらいならやらない方がましで、駅前のゴミ拾いをした方がずっと霊的向上になるだろうという結論に達しました。一般常識が無く、人としての徳や温かさ優しさが無ければサイキックもスピリチュアルにも全く意味がない、ということを体感として得られたことは貴重でした。

では自分がこの「心の温かさ」で生きているのか?というとそれもまた躓きながらというのが本音であります。この言葉はシンプルですが奥が深くて、心の温かさからNOと言う場面ももちろん出てきますし、自分と相手を信じてNOと言ったり厳しく感じられる言葉を伝えたり距離を置いたことも何回かあります。でも今の自分にはまだ見極めが難しいのが現実です。実際にNOと言えなかった時に言葉を飲み込んだ時に、その後に時間をかけて「本当はどうしたかったのだろうか?」「この場合、自分にもその人にも温かさを向けるとどのような返答になるのだろうか」と、体感覚を感じながらゆっくり考えるのでした。

10月16日のブログ

気温が下がってきたので、いよいよ暖房を使うようになりました。ちょうど一年前は、結婚と引っ越しの具体的な準備に取り掛かり始めた頃ですので、時間があっという間に過ぎますね。2014年の11月から書き始めたこのブログも、もうすぐ丸6年を迎えます。でも、現在の穏やかで平和な毎日にはなんとなく重くて馴染まなくなってきました。現在、別のブログに移行しようか検討中です。

今月の2日に、実家の外猫であるマリンちゃんが亡くなった連絡を受けました。9月30日の夕方のご飯には来ており、翌日の10月1日には姿を見せずにいました。国道沿いの近所の方から連絡を受けて、側溝の中で亡くなっている姿を発見したそうです。コロナが無かったならば、何回か帰郷できて会えていたはずなのに残念でなりません。マリンちゃんは僅か二歳と五か月で突然天国に帰ってしまいましたが、短くとも幸せな猫生だったと本人(猫)が思ってくれたらいいです。

こちらの過去記事で外猫たちの紹介をしています。

気楽に過ごす

10月になりました。丈夫ではない私は、季節の変わり目に体調を崩すことは当たり前なので、そんな自分と仲良くしたいです。

二年ぐらい前から、季節を問わずに更年期症状によるホットフラッシュがあるので、胸から上が汗だくになるのです。こんなに涼しくなっても一日に何回も着替えています。肉体労働をしている蘭丸さんよりも私の洗濯物の方がずっと多いのです(笑)。胸から下は秋なので当たり前に冷えていて体温の調節が難しく、真夏のように冷たいものをごくごくと飲んでいたら胃がやられてしまいました。食いしん坊なので食事を楽しめないことが辛いです。更年期はまだ先が長いので、これらの不定愁訴に慣れて仲良くしたいです。丁度今日、更年期についての面白い記事がありました。⇒こちら
私は子宮全摘手術を受けたので人工閉経になり、更年期に起こる突発的な出血は免れているのですが、この女性ホルモンの急降下というのは手強いですね。女性の方はよくご存じだと思いますが、女性ホルモンの変動はメンタルにもかなり影響するので、意識して気楽に過ごそうと思います。

大きめの感情解放である罪 ( sin )と罪悪感 ( guilt ) の解体を更年期に入る手前で集中的にやってしまったのは良かったなと思います。この時期にこれをやる自信と体力は私には無かったと思うのです。