姫乃宮亜美さんが仰っている「心の温かいところから生きる」という言葉を大切にしています。「心の温かいところ」というのは他人に対してもちろんそうなのですが、自分に対してもそうで、自分を置き去りにしない優しさと温かさ、そこにストンと戻ると安心します。
私はスピリチュアルな団体やサークルに長く関わってきたので、これだけは肝に銘じておこうと決めていることがあります。それは、心の温かさを失ってはスピリチュアルは本末転倒であることです。20年くらい前に運営に関わっていた某団体(コース関連ではありません)で特に感じたことなのですが、一般社会で負けているのでリベンジとしてスピリチュアルをやっている人達が一定数いました。この人達は精神世界の知識やサイキック能力でマウンティングと精神勝利をすることを目的としていました。「あなたは特別な人です」と言ってもらえる場所を探しているように見えました。成熟しておらず人に対して配慮も無く、社会を小馬鹿にしながら神だ光だ愛だと言っている彼ら彼女らから、私は愛を感じることは無く、居心地の悪さと一抹の悲しさだけを感じました。こういう人は、もちろんコース界隈にも少数ですが居ました。
その某団体の運営にいた時はイベントで大きなお金が動いたこともあり、脅迫・セクハラ・吊し上げ等、ここに書けないくらいに本当に色んなことがあったのですが、そんな目的でスピリチュアルをやるくらいならやらない方がましで、駅前のゴミ拾いをした方がずっと霊的向上になるだろうという結論に達しました。一般常識が無く、人としての徳や温かさ優しさが無ければサイキックもスピリチュアルにも全く意味がない、ということを体感として得られたことは貴重でした。
では自分がこの「心の温かさ」で生きているのか?というとそれもまた躓きながらというのが本音であります。この言葉はシンプルですが奥が深くて、心の温かさからNOと言う場面ももちろん出てきますし、自分と相手を信じてNOと言ったり厳しく感じられる言葉を伝えたり距離を置いたことも何回かあります。でも今の自分にはまだ見極めが難しいのが現実です。実際にNOと言えなかった時に言葉を飲み込んだ時に、その後に時間をかけて「本当はどうしたかったのだろうか?」「この場合、自分にもその人にも温かさを向けるとどのような返答になるのだろうか」と、体感覚を感じながらゆっくり考えるのでした。