12月4日の日記

ブログの間隔が空いてしまいました。山陰の秋から冬にかけての天気は、大体が曇りか雨です。冬になるとそれが雪に変わります。こちらに引っ越してきた当初は、太陽が殆ど見られないこの天候に憂鬱さを感じましたが、冷たい雨に不思議と気持ちが落ち着くようになりました。でも今年は珍しく晴れの日が多いようです。冬の積雪量は少ないのでしょうか。

姫乃宮亜美さんのブログで、心に響いた記事があります。
「実りある未来の為に」
「エネルギーが結果となる時代」 
「大きくエネルギーが変わるきっかけ」
「まとう波動を一致させて」
「幸せに一致すること」

少し前から友人の離婚相談にのっています。本当の気持ちから切り離されて長年抑圧的に生きてきた彼女を見て、過去の自分と被ります。私も自分の本心に触れることなく「こうすべき」という観念のみで物事を動かす癖がありました。現在はかなり薄まりましたが、この心癖は未だに少し残っています。このような状態を過去のブログ記事で「自分の前にマネキンを置いて、それを後ろから動かす自分」という表現を使っていました。ここでいうマネキンとは「こうすべき自分」のことです。例えば「今自分が置かれている役割や立場ならば、このような言動をすべき」を演じている演者のことであって、それは自分の本心ではありません。自分と一致しないことが常であった以前の私にとって、そのことを疑うことが自分を見つめるスタート地点でした。

「自分とかなり一致していない」「そもそも自分の本心・感情がわからない」地点から歩み始め、「本心を探す為に素潜りのように心の中を潜って本当の気持ちを毎回探す」に至り、そこを経て現在は「本心とズレていると何だか気持ちが悪い。違和感がある」ところまで来ました。それでもこの点に関しては、まだスムーズではありません。エニアグラムタイプ1の私にとっては、社会的にちゃんとした人でありたい、真っ当な社会人で常識的でありたいという想いが強く、それらが自分の本心を横に押しやってしまうのです。これは聖霊に何かを問う・聞く以前の話です。聖霊に何かを問う以前に、私が私にちゃんと問うているのか?そこが本当に難しかったし、今でもかなり注意が必要です。

コース学習を始めた初期の頃に「怒りは正当化されない」という言葉を、怒りの抑圧に使っていたのです。「自分の気持ちの全てが自我由来であり、それは全て間違っている」のだから「気持ちを感じることがそもそも ”間違い” だ」という誤った理解をして苦しくなりました。そして様々なことを赦せない自分を裁いていたのです。このような誤った理解によるトラップは、恐らく自我の傾向として様々に見られるのかもしれません。瓶の蓋を開けるはずなのにきつく締めてしまう感じです。学習に取り組んでも苦しくなる一方でした。蘭丸さんのアドバイスもあって、この時は一旦コースから離れて自分の感情や体感覚を感じるメソッドを中心に取り組みました。そこから糸口が見えた気がします。

相談にのっている友人を通して、そのようなことを思い出しました。